ウチの敷地には、いつも猫がいる。
生まれては消え、気がつけばまた増えている。
今は5匹。
少し前までは7匹いた。

「飼っている」と言えるのか?
いや、半分ノラ猫といったほうがしっくりくる。
でも、完全なノラでもない。
餌をあげるし、冬には猫の家を作ってやった。
だけど、彼らはちゃんとネズミや虫を狩って生きているし、獣から逃げて過ごしている。
そんな”半ノラ”な彼らと、ウチはずっと共存している。
先日、一番懐いていた子猫が死んだ。
前の日、ぐったりしていたから、暖かい場所で抱いてやった。
スヤスヤと気持ちよさそうに腕の中で寝てくれて、
少し元気になった気がしたけれど、
翌朝には猫小屋の入り口で冷たくなっていたらしい。
父が早朝に土へ還してしまったから、
私は最後のお別れはできなかったけれど……
なんとなく「もうお別れなんだろうな」とは感じていた。
病院に連れて行くことはしない。
ウチで生まれ、半分自然の中で生き、そして去っていく。
そういうサイクルが、ずっと続いている。
いつもウチには5匹くらい猫がいる状態で、
その中の1匹か2匹が人間に特に懐く。
不思議なのは、懐いていた猫が死ぬと、次の猫が繰り上がりで懐きはじめること。
まるで「次はオレの番か」と言わんばかりに、寄ってきてゴロゴロ喉を鳴らす。
猫の世界のルールなのかもしれない。
名前はつけていない。
つけると、その猫はなぜかいなくなってしまうからだ。
たぶん、人間に慣れて警戒心が薄れ、獣にやられてしまうのかもしれない。
悲しいけれど、これは今までの経験則。
だから、みんなただの「ニャンコ」。

それでも、ウチの猫たちはちゃんとこっちを見ているし、こっちのことを知っている。
自分が家族の中で一番猫を愛していると思う。
それが伝わっているのか、気づけばこの3年で
みんな懐いてきた。
だけど
いつも可愛がるわけじゃない。
こっちもあっちも気まぐれだ。

ウチの猫たちは、ノラだけどノラじゃない。
人のそばにいるけれど、自由でもある。
そんな距離感で、今日も彼らはウチの庭にいる。


POPECHICK
=POPEYE風味でかく文章のことをそう呼ぶ事にしました。
2回目は「猫」
実家には40年以上前からずーと猫がいます。
ずっと自分は犬派だと思っていたけど
気まぐれな猫ちゃんたちの性格が
とても心地いい距離感で
最近は私の癒しになっています。
動物といる自分が本当の自分かなぁと思ったり。